                      
「鬼房俳句の真髄」金子先生講演 (仙台文学館2006年2月26日)
昭和26年、句集「名もなき日夜」を出した直後の鬼房と福島で始めて出会った。その頃、
関西の戦後俳壇の人々は俳句よりも小説や詩を書き食ってみたいという風潮が強かった
ため、私的小説の雰囲気の「名もなき日夜」は関西の俳人からは褒められなった。しかし、
鬼房は俳句という形式に信頼感を持っていた。
鬼房は「観念」と取り組んでいたが、村上護が「観念とは何か」鬼房に聞いたところ「観念
は身体で感じることだ」と答えた。
鬼房は「考えてどう日常を書き取れるか」と言っている。
「子の寝顔這ふ蛍火よ食へざる詩」、この日常を思考的に書いている。これが観念を書くと
いうことであり、これを書いているうちに第二句集「夜の崖」で開眼したと私は思っている。
そして最短定型を信頼せざるを得ないのだから信頼する。俳句形式の本質は何かと考え
続け、五七五で書けるものを書いてゆく。第十句集「枯峠」が代表句集であると思っている。
鬼房は、俳句の奥深い最短定型の特徴を掴み、考える日常を書いてきた本質的な俳人で
あった私は思う。
(管理人endoが要約しました)
展示室引用句より
「夜の崖」
青年へ愛なき冬木日曇る
縄とびの寒暮いたみし馬車通る
鶺鴒の一瞬われに岩残る
怒りの詩沼は氷りて厚さ増す
冬山が抱く没日よ魚売る母
齢来て娶るや寒き夜の崖
「枯峠」
帰りなん春曙の胎内へ
時絶つて白根葵に口づける
松の密舐め光体の少年なり
鳥寄せの口笛かすか枯峠
あてもなく雪形の蝶探しに行く
むきだしの岩になりたや雷雨浴び
北冥ニ魚有リ盲ヒ死齢越ユ
恋に死ぬことが出来るか枯峠
想念の死を見届けよ青氷湖
|