金子兜太      句集   大 口 元 通   
 
  TOP   INDEXへ戻る

  
















現代俳句協会


















































































富士見書房






























































































角川書店
   
  


  大口元通略歴 (おおくち もとみち)

  昭和3年2月9日、名古屋市に生まれる。産婦人科医。
  昭和24年、波止影夫に師事、「青女」「芭蕉」「公苑」同人。
  昭和36年、中島斌雄に師事、「麦」同人。
  昭和56年、金子兜太に師事、「海程」同人。
  平成9年、「海鳴り」を創刊、代表。
  現代俳句協会会員。中部日本俳句作家全会員。
  句集『海鳴り』(昭和57年刊)、『春の仁王』(昭和62年刊)、『世間音』(平成5年刊)。
  (平成11年)『周遊切符』



   
   句集春の仁王現代俳句協会  昭和62年刊 

     阿部完市選

   桜木を一つへらせば僧となる     元通

   雁かえる近眼鏡でながめたり

   聖五月人間どちらがうしろかな

   待つ恋をたとえば新幹線が走る

   二月のうこんの色に逃げにけり

   露草の足を揃えて咲きいたり

   朝顔の愉快不愉快あちこち向く

   荻吹くやばあーんばあーんとマヨネーズ

 


    解説(抜粋)  森下草城子


   春の仁王の口あけたるは未婚なり   元通


  この作品について、私は「海程」誌上に次のように書いた。

 仁王像が口を開けている。そして、これを未婚と捉え得たところに作者の独断が感じら
れる。この表現の仕方はとかく因果関係を表し、事柄の説明で終わってしまう場合が多い。
しかし、ここではこの関係は弱く、むしろ、断定に納得ができる。つまり、読み手の側にも
共通する意識をもたせてくれる要素が含まれているということになる。阿形の仁王像と作
者のもつ青春像の重なりに共感を覚える面白い作品である。

一般に作品は、対峙した対象と作者の心的要因が触れたことによって微妙な心の絡み合
い、揺れ、ことばの模索の中から結晶となって生み出されてくるものである。この場合、作
者の直感ともいえる断定が作品に大きく関わってくる。このことは、大口氏の作品について
も例外ではない。

 この〝春の仁王″ の自句解説の中で、
 仁王を拉し来て春とのとり合せの中に私意と遭遇し得たと思う。今、私の志向する所は、
心(内容)はあくまで前衛で、姿(文体)は古典的にと考えている。前衛風文体にして新
しみを内容としない俳句への反発に由来する。暴挙であるかも知れぬ。

 と氏は述べている。これは、自然に即して客観的に促えて詠むということではなく、(いま)
の俳句に対する志向の一部を窺うことはできる。このことについて、氏と話したときのことば
を借りるなら、

 私の俳句は前衛の側からみると、古い所をいっている。保守伝統の側に言わせるなら、
新しい方向を目指しているな、と思われるような辺りを書いている。

 ということになる。俳句という大きな枠の中で〝心(内容) はあくまで前衛で″という辺り
はことばを換えてみれば主観的に表現に拘り、最短定型詩の(いま)を志し、豊かな形象を
求めていく、そこに自分を据えていることに関わる発言と受け止めてよいであろう。
 私は、氏のこうした作品志向は、当然のように試行錯誤の中で行われているものであって
その内的な揺れは作品の上にも表れてきている、そして、その揺れに対する決断として、
(春の仁王の口開けたるは未婚なり〉を読んでいる。このことは、すでに昭和五十七年に刊
行された句集『海鳴り』の中でも、

  萍の流れ行きしが孤独ならず       『海鳴り』

  偽善者たり鷹の行方を見送って

  金木犀思考停止の汽車に乗り

  花大根余生はためく如きなり

  水仙の横向き咲くは不敵なり

などの作品をとおして知ることができる。また、この句集の中にも、

  空蝉が湿りはじめし永遠なり

  芭原の径なくなりし殺気かな

  白菊の天幕(てんと)一枚浄土なり

  浮寝鳥足組んで寝て余命かな

  冬虹に触れてみたれば人肌なり

などがみられる。こうした作品を丹念に読み返してみると、日常諸事煩雑の現代において
自然と個の照応を垣間みせて呉れている。・・・・・・・・・つづく




 句集世間音  富士見書房  平成五年


  序  元通俳句の魅力   金子兜太

 大口元通の近作で、いかにもこの人らしい作とおもっているのが次の句。
  
   日暮里(にっぽり)からむこうは蝶の空であった

 大口は長身で柔和な医師である。気持よく話すが、弾みすぎることはない。
眼鏡の顔は血色がよく、覗き込むようにして親しげに話しかけてくるのは、私
が短躯禿頭のため、声が頭の上を滑って消えてしまうのを気遣ってのことかも
しれない。

 私はこの人をガンツウさんと呼び慣わしている。モトミチが正しいのだが、
初見以来ガンツウさんに決っているのである。元通と同じ俳句雑誌「麦」の女
性から、「ガンツウはピッタリしませんよ。もっとスッキリしているし、好男子です。
ガンツウなんて顔をしていませんよ」とたしなめられたこともあったが、ガンとし
て変える気持にならない。何故かと考えてみるに、長身柔和血色の奥のはうに、
なにかしら熱く動かない、いささか異なるものがあるからである。俳句という最
短詩形への執念、というときつくなるが、ニコニコしながら、この人は俳句を熱愛
しているのだ。執念とか熱愛とか、こんな言葉が当てはまらないような容姿容貌
にもかかわらず、じつは内ふかく最短詩への傾倒がある、と私は見ている。
医師としての仕事よりも、というと差し障りがあるから控えるが、おもわずそうい
いたくなるときもある。

 その執着ぶりをもっと具体的にいうと、俳句という形式に呼びあつめてくる
言葉たちとの、呼びあつめる過程のなかでの交わりに執している、ということ
になる。俳句・最短詩形は、言葉の呼びあつめ方、それの組み上げ方が難しい。
最短且つ韻文に適合させるためには、言葉の吟味が要り、その分、吟味する人
の語感(広く、言葉へのセンス、といおうか)が問われていることになる。

しかし、大口元通は、そうした言葉との交わりが嬉しくて仕方ないらしい。俳句
を手離して、他の形式を選ばないのも、ましてや形式を捨てて自由な書き方に
顔を向けないのも、最短定型ならではの、言葉との交わりがなによりも嬉しい
からに違いない。

 その言葉との交わりに空想を加え、さらにいっそうそれを広げているのが、
昨今の元通なのだ。この「日暮里」の句を見よ、であって、まず、「日暮里」
という地名を楽しげに呼んできて、東京は下町の雰囲気までも賞味している。
そして、そこから向こうの空にかけてはるかに蝶を舞わせているうちに、しだ
いに、<日暮れの里>を感じさせてくれる。夕暮れどきの黄をおびた透明な青
空が広がり、蝶の国のように蝶がいっぱい舞っている。「であった」の口語調
が、その夢幻風の甘美な感応とじつによく合っている。長身柔和な元通の笑顔
まで見えてくるではないか。
 元通らしい近作がまだまだある。その一つ。

    ローランサン冬の苺と思いけり

  ローフンサンーこの女性画家が描く少女は、幻想的で優雅で、淡い色調の
なかにいる。元通好み、ということ。元通の言葉との交わりの地合いはこれ、
といいたくもなるのだが、そのせいか、ローフンサンも血色がよかったのでは
ないか、と勘繰ったりもする。「冬の苺と思いけり」に、そのこともはいって

いるのかもしれないぞ、とおもう。むろん、彼女の絵画への全体的な印象から
出てきた喩えなのだが、そのなかに血色も、とおもって、こんどは私が楽しん
でいるのだ。そして、楽しみついでに、元通は苺が好きなのではないか、い
や、そうに違いないとまで想像を達しくして、冬の苺を、微笑を含んだ口元に
もってゆく、大口元通の朝食のときの様子を、はるかにおもいやっているので
ある。


                  平成五年(一九九三)四月、於熊熊荘




    ※収録句より※


   韋駄天の面影を見し寒さかな         

   春光に猪のようなる顔があり

   道行きやかまつかまでは手をひかれ

   人の死を三日のばして青棗

   ぼっぺんや荒野たのしく行くために

   芽吹山はなればなれに息殺す

   青田風行方しれずの乳母車

   束の間の全重量の桜かな

   青時雨笑わんとして泣きいたり

   無月かなうしろ姿の人ばかり

   やわらかき人待つ夕べ山に霧

   逢い見ての後のからだにまんしゅしゃげ
 
   冬げしき足は業火を踏んでおり

   薄氷を割ってかの世へ行きにけり

   菜の花や少年薄れつつありぬ





   句集『周遊切符』
  角川書房  平成11年

    帯より  大口元通

    核弾頭うつらうつらと春の海   元通

    現代俳句に通用しているものは、文語にあらずして文語
   的表現であり、口語である。口語と現代仮名遣いの比重は、
   今後、大きくなるばかりであろ。
    現代仮名遣いが不完全なものであることは承知の上で、
   大胆に文語と現代仮名遣いの混淆を試みてみた。危うきを
   渡りたいと思うのである。
                        (あとがきより)



    ※収録句より※

   のぼり来て雲の峰にも釘を打つ        
  
   桐一葉落ちて天地(あめつち)液状なり

   戦艦が沈んでゆきし夜長かな

   姉を追うさくら明りの途中まで
 
   飲食(おんじき)は一人に限る茗荷汁

   秋の蝶来て通し矢が始まれり

   やまかがし湿地帯にも曲がり角
                     
   まんさくの黄が拉致されて行く日暮

   かわせみの水搏つときは物狂い

   靴脱いで童女秋雲に乗るつもり

   秋時雨言葉からだを離れたり

   虞美人草ま夜中のナルシスト





 管理人へメール     リンクフリーです      パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
Copyright (c) Tohta world All rights reserved