金 子 兜 太  tohta kaneko       阿部完市遺句集
 
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 阿部完市全句集」 昭和59年沖積社       「軽のやまめ」平成3年角川書店





  市野記余子抄出(海程 2009/6 453号)


冬鳥よ飛んで帰郷かも知れず           『無帽』昭和31年刊 未完現実社



少年来る無心に充分に刺すために        『絵本の空』 昭和44年 海程社

私ねむる土民のごとき暗さとなり

奇妙に明るい時間衛兵ふやしている

病院で絹を燃やしてくるしみ居り

ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん

とんぼつれて味方あつまる山の国



栃木にいろいろ雨のたましいもいたり      『にもつは絵馬』昭和49年 牧羊社

やらやらと朝やつてくる蝶氏など

あおあおと何月何日あつまるか

朝雲あさ雲むねつぶすかるさ その

にもつは絵馬風の品川すぎている

木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど

静かなうしろ紙の木紙の木の林

風をみるきれいな合図ぶらさげて

この野の上白い化粧のみんないる

すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる



淡路島と色彩学とはるかなり             『春日朝歌』 昭和53年 永田書房

たとえば一位の木のいちいとは風に揺られる

しら帆百上げる十一月末日の仕事

ゆきひらという器ながれて春一夜

うそついているにんげんはやまざくら



中国地方へ一点夏馬かすかであった        『純白諸事』 昭和57年 現代俳句協会

私裂けて私こわれて青籠なり

沙河にゆきたし六月私は子馬

鵜を抱いてけむりいつぽんもって

川岸ごらん郡上八幡小駄良(おだら)川岸



翡翠をあっとこころはこえるなり            『軽のやまめ』平成3年 角川書店

ほんとうに青麦のまねをしてみよ

折れやすからん雄鶏の首の一箇所

海猫群集(ごめぐんじゆう)おおぶりの島でありけり

 
われ四万十川のその川面を打榔す
  われしまんとのそのかわづらをちょうちゃくす

豊旗雲の上に出てよりすろうりい

鮎たべてそつと重たくなりにけり



会釈して北陸道に入りにけり              『地動説』平成16年 角川書店

ぶらいんどおろして長須鯨をまつ

にわとりもふらんす人も居らぬなり

水色はごくんと言いLはからだ

さんくと・ぺてるぶるぐ全天窓かな

夜存在す山刀伐峠というぞ

撒水車らぷそでい・いんぶるう撒く

水筒さげて左右たいせつである

鮎錆び候その首尾候



桜騒箱をならべて箱のこと                『水売』平成21年 角川書店

かたかごの花接続詞そしてそうして

故西脇順三郎氏訳つるのことば

木馬ゆく日本ひろすぎるのです

途中峠とて花折峠とてしかし雨

山々や三百六十五日と休日

桐の葉のかたち青桐の葉のかたちかな





  全句集あとがき 沖積社(昭和59年)



  ◇  「俳句」は、今までに在った、また今現に存在する言語―ひとつの体系のなか
    にきちんとおさまり、はっきりその所在、位置、形姿、機能を、自ら明示している、
    そのような言語―をつかって、一句つくり上げることと私は今思っていない。

  ◇ 「俳句」を作る、一句を成就するということは、言葉、言語の組合わせだけとは
    思っていない。俳句とはそれがそのまま一個の行為―つくり出す、つくり上げると
    いう行為、と思っている。一句を作るということは、今までになかった、今までの自
    己にとって全く未経験のものを内臓する―行為、と思っている。それは私にとって動
    いて止まぬ、次に在るようになる言葉、言語を作り出すこと―既成の言葉、言語の
    組合わせではなくて―と考えている。すなわち、私は時枝誠記の謂った「言語過程
    説」を真似て、一句成就することを「俳句過程説」とでも唱えたいほどに思っている。
    全ての私の行為―私にとっての精神の一新動体であると考えたい。

  ◇ 一新行為―俳句過程は、それゆえにときに言葉、言語を、ときに「国文法」と
    いう既成、既存そのものを動揺させ、その一新生へと赴かせることもあり、とも考え
    る。

  ◇  「俳句」は、私の行為の経過そのもの、と思ってこの頃、私はまた一日一日、一
    句一句を思い、行為する。

  ◇  正岡子規の「パーミュテーション・アンド・コンビネーション」による、五七五
    音組合わせ限界説ではないが、俳句十七音を、言語の「既成体系性」からだけみれば、
    俳句は種々制約をうけるが、翻って言語の生成性、経過性、過程性をみれば、五七五
    音・十七音は、なかなかにきわまらない。

  ◇ 「言葉」をみて、今・現在―古い、昔の言葉の現代への援用、古語の「現代
   性」への関与のことなどをふと考えてみても、俳句はとてもきわまることはない。

  ◇ 私が、作句しはじめたのは、昭和二十六年の頃。すでに三十年を超えて「俳句」
   のなかに今もいる「私」は、今日此頃、このようなことを考え、「俳諧自由」を思い、
   「俳句自在」と会い、俳句即自己、わが「全行為」「俳句過程説」などと考える。そ
   して、それゆえに「俳句」が私の未来存在の一証明となって在ることを確かに感取し
   ている。

  ◇ 二十四、五歳のとき日野草城の日光草合へ。少時面談。その後、西村白雲郷師に
   ―稲葉直の応援。三十四歳のとき金子兜大門に。つづいて高柳重信、飯田龍太各氏
   の庇護、推輓をうける。今、俳句自由と言っている私は、これらの方方のお蔭無しに
   は絶対考えられない。それに遽巡する私に全句集刊行を決意させてくれた沖山隆久・
   沖積舎社長。

  ◇ 私の「これから」のための全句集。ただ感謝申し上げる。

                  一九八四年夏              阿部完市




      

  阿 部 完 市

  第十句集  角川俳句叢書 2009年2月刊


  二00四年より、二00八年までの句。

  すべて、病中吟。

  つねにく今>を私の一句一句でありたいと
 
  念じている。





     自選十二句

     冬眠の蛇のごとくに尊Lや

     白墨一本その他をさがし善人

     直線はまがつています末の松山

     川の絵が上手ですから早起きです

     ごはん食べて母ていねいに生きにけり

     途中峠とて花折峠とてしかし雨

     不発弾ひとつはこんで馬帰る

     しもやけしもやけまつさかさまである

     桜騒箱をならべて箱のこと

     寒桜われら神妙である

     花茣蓙ひろげておるすばんかな

     山々や三百六十五日と休日


  


   
     
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