金 子 兜 太
句集の森
「メキシコ料理店」小野裕三
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句集「メキシコ料理店」小野裕三
角川書店
定価2,381円(税別)
著者略歴
小野裕三(おの ゆうぞう)
1968年 大分県生まれ。東京大学卒。「海程」所属。
2002年 現代俳句協会評論賞。
2003年 海程新人賞。
2005年 現代俳句協会新人賞佳作。
共著に『現代俳人101』(金子兜太編、新書館)
小野裕三ホームページ
http://www.kanshin.com/user/42087
貫きて五月を走る鉄路かな
御降りや墓守にある偏頭痛
新樹の夜キリンの逃げる場所がない
水月来るガラスの瓶の記憶力
夏の日の植物たちの時間割
凍土よやさしすぎた鳥はよもうよいのだ
犬たちは月影の方向にばかり歩く
暖雨降る私は決して象ではない
蝶ノ神経ト私ノ神経ヲ交換スル
一月は過ぎ魂の暗い部分
春の夢何万トンの空だろう
焼芋はただ火だるまとなるばかり
春風に溺愛されたキリンである
飛行機を燃やせば住める花野かな
落雁やドア燃えている未明
月光のやがて聖徳太子かな
メキシコ料理店のような大降り
木枯が来て私語ばかり口にする
マウテンゴリラ虹のようなものを掴む
木星が近づいて来る蝉の島
配水管固く曲がりし聖五月
金魚一匹楽器のごとく泳ぎけり
アジアの背すらりと並ぶ日傘かな
品川はみな鳥のような人たち
夏の猿見てきて夜の鳥居かな
熊本の人ばかりいるところてん
高きに登る具体的には犬
君たちのやわらかなシャツ四月馬鹿
イルカショー始まる淋しき国家
解説
叙情の形而上学 銀色のリリシズム 中沢けい
時というものが、私たちをどこかへ運び込んで行く川に例えられるならば、
小野裕三の俳句には、その川を超えるまなざしを感じることができる。流れ
て行く川の、その向こう岸あるいは、その果てへと注がれるまなざしと言う
ことも可能だろう。
貫きて五月を走る鉄路かな
五月の気持良い広野原を走る列車の響きが聞こえてきそうなこの句も、そ
のまなざしはどこにあるのかと言えば、私などは二通りに想像してしまう。
まず、列車の線路の際に立って、その銀色に光る鉄路を走ってくる列車を眺
めている目が想像される。車輪の音を響かせる線路は遥か彼方まで繋がって
いるのであ.る。景色を眺めるまなざしは遠い彼方へ投げられている。彼方
にあるのは、列車が到着すべき次の駅ではない。むしろ、列車が消えて行く
景色の彼方にあるもの、目では見ることのできない世界が、そこでは見詰め
られている。そうでなければ最初に「貫きて」と言葉が置かれた意味が出て
来ない。と考えるそばから、いや、この「貫きて」は列車の車中にいる人の
想念なのだという考えがわいてくる。列車に揺れる人は、その身体を列車に
運ばせているわけだが、遠く運ばれる身体も過去から未来へのひと続きの同
じ時間の中に住んでいる。そういう想念なのではあるまいか? 列車の外か
ら列車を見送る目と車中で鉄路の響きを聞いている耳、そういう目と耳がこ
の「貫きて」という言葉でひとつに束ねられているとしたら、より広い広が
りを持った世界がそこに生まれてくる。
十月やただまっすぐに歩むこと
如月の少女と眠る天文学
「ただまっすぐに歩むこと」という前者の句は「貫きて五月を走る鉄路か
な」よりも意志的なものを感じさせる。季節が冬へとたそがれて行く一年の
循環の中で、十月という月は豊かな実りとともに過ごしやすい気候の時であ
るけれども、どこかで大きな冬を予感させる気配がある。その気配を感じて
いるのか? 意志の清々しさが、秋の清涼で乾いた空気の快さと響きあって
いる。大きな冬。それは少女が天文学とともに眠る冬だというふうに言った
ら、それぞれの句の独立性を壊してしまうことになるのだろうか?
澄んだ大気の中、夜空に星は巡る。星たちの循環の秩序を解き明かそうと
する天文学。ひとつの宇宙の生成と終焉を解き明かそうとする天文学が、眠
る少女の夢の中でまったく等価なものとして釣り合う瞬間がある。私は「如
月の少女と眠る天文学」の句をそういうふうに読んでみた。冬は様々な動物
にとって冬眠の季節である。人間もまた幽かに冬眠への憧れを身体の中に残
しているのかもしれない。甘い眠り。荒涼とした死の世界を思わせる固い眠
りではなく、幾度も繰り返し生成され終焉を迎える世界を包んでいるような
甘い眠りへの憧れではないか。自己の眠りではなく少女の眠りとして、この
冬の句が詠まれているのは甘い眠りを象徴的に捉えるためだったように思える。
こうして並べてみると小野裕三の句には、銀色に光るリリカルなものが潜
んでいることに気付く。鉄路の「銀色」十月の光る風の「銀色」眠る少女を
覆う大宇宙の散らばった星々の「銀色」など、こうした銀色に光るリリカル
なものへの感受性は、今現在、私たちが生きているこの世界の外側にある世
界を発見しょぅというまなざしから生まれてくるものであろう。時の川の流
れの行く末を、時の川の向こう岸を見渡そうとするまなざしである。
(解説より抜粋)
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