金  子  兜  太 

                     
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 ・金子兜太自選句



昭和36年7月刊
風発行所
 
    
   第二句集 
『金子兜太句集』
            


  
解題   安西 篤 (金子兜太集第1巻から転載)


 付・「解説」 (原子公平)/「あとがき」/「略年譜」、総頁290頁、
判型・B6判変型、造本・上製畿械函入、発行1961年7月1目初版、
発行所・風発行所

 「現代俳句新書」 Iとして編まれたもの。全体は四部に分かれ、一・
二部を「少年」、三・四部を「半島」としており、この時期での金子兜太

全句集の形をとった第二句集である。第一句集『少年』は三部の半ば
 (昭和30年6月頃) までをカバーしているため、ここでは『少年』と
の重複部分を省略した「半島」三部 および四部を掲載した。

  この句集は、戦後俳句史のなかでも稀にみる劇的なタイミングで
登場した。上梓された昭和36年(1961)は、前年の60年安保の後

を受けて俳壇にも保守化と古典返りの波が押し寄せ、ついにその年
の暮には現代俳句協会の分裂と俳人協会の発足という大きな転換

期を迎えていたのである。『金子兜太句集』出版記念会は9月30日
だったが、四日前の現代俳句協会賞選考委員会で兜太たち世代と

対立した保守派長老俳人たちは一人も出席しなかった。その夜は
豪雨で、 「招待席の座布団が、坐る人もないままに、灯を受けてし
らじらとしていた」と兜太は書いている。

  このような風雲のなかで生れたこの句集は、反動のに対するカウ
ンターパンチの役割を果たした。すでに発表していたへ「造型俳句論

」)の具体的成果はことに第四部に結実しており、「作品は四部一巻
分の生長として必然的にまとめられなければならなかった」(原子公
平「解説」)のである。

 


  (金子兜太自選句より)

  
神 戸

車窓より拳現現れ旱魃田

青年鹿を愛せり嵐の斜面にて

人生冴えて幼稚園より深夜の曲

空の深みに紙片港湾夫の夕餉

激論つくし街ゆきオートバイと化す

朝はじまる海へ突込む鴎の死

山上の妻白泡の貨物船

手が長くだるし赤茶けた製鋼煙

銀行員ら朝より螢光す烏賊のごとく

強し青年干潟に玉葱腐る日も

もまれ漂う湾口の筵(むしろ)夜の造船

荒れる海陸に損傷のプールを置き

遠い日向を妻が横切りわれ眠る

独り子と海辺の異形(いぎょう)なビルの根に

豹が好きな子霧中の白い船具



   ○長 崎

攣曲し火傷し爆心地のマラソン

子が灰皿に火を燃す雪の銀行員

〝にほん恋しや〟絵葉書売りに海泣く今

暗い製粉言葉のように鼠湧かせ

華麗な墓原女陰あらわに村眠り

岬に集まる無言の提灯踏絵の町

冬森を管楽器ゆく蕩児のごと

司教にある蒼白の丘疾風(はやて)の鳥

森のおわり塀に球打つ少年いて

殉教の島薄明に錆びゆく斧

手術後の医師白鳥となる夜の丘

何処か扉がはためくケロイドの港

列島おわるざんばら樹木と貧血漁夫

粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に

島原殉教史荒れはてた海の藻ら

雨滴の窓雨滴ばかりの君等の顔

西の海にブイ浮く頭蓋より濡れて

  鹿児島にて
黒い桜島折れた銃床海を走り

夜の航武器のごとくにバナナを持ち



  ○東 京

果樹園がシャツ一枚の俺の孤島

  六〇年安保
デモ流れるデモ犠牲者を階に寝かせ

暗い入口鈍いレモンの晩秋家族

遠く銅色銅色湖(うみ)先行の群にいて

わが湖(うみ)あり日蔭真つ暗な虎があり





                        
『金子兜太句集』後記      金子兜太


 句集『少年』をだしてから、六年たった。今度は『少年』の全部と、それ以後の
ものを残らずまとめて、約八百句を一冊にした。『少年』以後のものは、神戸の
頃の後半(三部・神戸に所収)と長崎の全部(四部・長崎)、それと東京に戻っ
てからのもの(四部・東京) である。

『少年』以後の作品については、内々第二句集として別にまとめたいと思い、題
も「半島」というのを考えていた。神戸の後半ごろから、関西にいる友人たちの
刺戟もあって、ぼくの俳句は、日頃考えていた方向に向って独自性を強めてい
ったように思う。長崎というエキゾチックでしかも忍従と悲惨の歴史に満ちた環境
のなかで、より独自的に作ってみたいとも思い、またある程度得心のできるものも
できたように思っていた。

東京にきてからも、そのペースは崩していないつもりだ。何とか第二句集をと念
願していたのもそのためだ った。

 しかし、沢木欣一は、『少年』は絶版になっているし、案外読んでみたいという
人も多い。それに初期の抒情も捨てがたい~全部まとめてみたらどうか、と奨め
てくれる。たしかに、考えてみれば、第二句集を別にだすということには二梗の気
負いとうぬぼれがある。

そんなものはしばらく隅に寄せて、俳句を作りはじめてから今までの二十年余の
遍歴を、ここでさらけだし、読んで貰う人たちの批評に委ねてみることの方がよい。
乏しくとも真剣であったことに間違いはない自分の道行きをまとめておく方がよい。
そう考えた次第である。

 まとめ終って、二十年余の集積は光の帯のように、ぼくを祝福してくれているのを
知った。ぼくのいままでの生活のなかで、残ったものはこれだけに過ぎないが、これ
だけのものでも残し得たことは貴重なことでぁった、と気付いた。戦時中、トラック島
にいたぼくに、父が、「お前が死んでも、お前の俳句は残る」と書いてきたのをふと
思い出し、何とも感傷的な気分にさえなるのだった。これからも作りつづけたい、とつ
くづく思う。

 この句集を出すに当って、結婚前の多忙な時間を割いてくれた細見永子さんの御
尽力と、解説の労を煩わした原子公平に、こころから感謝したい。

                         一九六一年五月三日
                                                                         金子 兜太




 

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