金  子  兜  太 

                     
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 ・金子兜太自選句



「東国抄」花神社
 
  
付・「あとがき」/「初句五十句索引」、総頁・二四六頁
判型・四六判、造本・上製製カ、バー装、装惧・熊谷博人
製作・福田敏幸、発行・二〇〇一年三月二十五日初版、
発行所・花神社

 『東国抄』は、平成七年(一九九五)の秋から十二年
(二〇〇〇)初夏までの約四年半の作品四一六句を収
め.たもの。「あとがき」によると、この間、皆子夫人
が二度にわたる腎臓の悪性腫瘍の手術にも耐えて生き
抜いてきた気力は兜太をも励ましてくれたという。

 題名については、「、主宰俳誌『海程』に俳句を掲載
するときの表題として、十年以上も書きとめてきたも
ので、初めlは都ぶりに対する鄙ぶり、雅(が)の世界でなく
野の世界に自分の俳句をおきたい、といったていどの
考えだった。しかし、『士』をすべての生きものの存
在基底と思い定めて、自分のいのちの原点である秩父
の山河、その 『産土(うぶすな)』 の時空を、身心を込め
て受けとめlようと努めるようになり、この題は、産土の自
覚を包むようになったのである」 と。

 この「産士の自覚」は、集中の連作「狼」二十句に
端的に現れている。やはり「あとがき」 でいう。「そ
して、ある日、狼(ニホンオオカミ)が出現した。秩
父には狼にかかわる伝承が多く、あちこちの神社に狼
の石像がひかえている。ニホンオオカミは絶滅したと
いわれているが、まだ生きている。少くともわたしの
なかでは、いのちの存在の原姿として生きている」。

 ここでいう「いのちの存在の原姿にこそ「産土の自
覚」としてあるものであり、『両神』で指標としてい
た 「天人合一」の世界に到ろうとするものでもあった。
そのためのいのちの成長と深化を目指して、兜太の表
現構造はなおダイナミックに動きつつある。それゆえ
にこそ「あとがき」 の末尾に、「わたしはまだ過程に
ある」 と兜太は書く。
                        (安西篤)





   よく眠る夢の枯野が青むまで

   老梅の白咲き白濁の残雪

   じつによく泣く赤ん坊さくら五分

   鳥渡り月渡る谷人老いたり

   連翹を走りぬけたる猪(しし)の震え

   雨蛙退屈で死ぬことはない

   妻病めり腹立たしむなし春寒し

   妻病みてそわそわとわが命(いのち)あり

   春の鳥ほほえむ妻に右腎なし

   背を丸め病い養う者に薄暑

   寒紅梅春まで咲きし寛ぎや

   雪中に飛光飛雪の今(いま)がある

   子規は雛あられかりかりと戴(いただ)く

   待ち合わせ向こうの電車俳人ばかり

   妻病めば葛たぐるごと過去たぐる

   黄葉の奥に檎山の黒縁あり 

   よく飯を噛むとき冬の蜘妹がくる

     青い犀(五句)       
   青い漂泊の語陳(ふる)く鮮(あた)らし

   青い犀人の出会いにじゃがの花

   青い犀放浪の僧浴衣がけ

   青い犀転げゆく蝶や石ころ

   青い犀も年もりもりと雲の命よ

   暁闇を猪(しし)やおおかみが通る

   おおかみが蚕飼の村を歩いていた

   おおかみに目合(まぐわい)の家の人声(ひとごえ)

   おおかみに蛍が一つ付いていた

   おおかみを龍神(りゅうがみ)と呼ぶ山の民

   龍神の両神山に白露かな

   木枯に両神山(りょうがみ)の背の青さ増す

   龍神の障(さえ)の神訪う初景色

   狼に転がり墜ちた岩の音

   狼生く無時間を生きて咆吼

   山鳴りに唸りを合わせ狼生く

   山鳴りときに狼そのものであった

   月光に赤裸裸な狼と出会う

   山陰(やまかげ)に狼の群れ明(あか)くある

   狼の往き来檀(まゆみ)の木のあたり

   狼墜つ落下速度は測り知れぬ

   狼や緑泥片岩に亡骸(なきがら)

   ニホンオオカミ山頂を行く灰白なり

   小鳥来て巨岩に一粒のことば

   登高す牛糞は踏むべくありぬ

   屋上から大根の葉が墜ちてきた

   冬眠の蛙のそばを霧通る

   毛物たち俺の朝寝を知っている

   サングラスのパブロピカソに蜜蜂

   明石原人薄暑のおのころ島往き来





『東国抄』後記   金子兜太


 平成七年(一九九五) の秋から、同十二年(二〇〇〇)初夏まで、
ほぼ四年半のあいだにできた俳句をまとめた。『両神』 につづく第
十三句集である。 この間の平成九年 (一九九七) 三月十八日、
妻の皆子が右腎臓摘出の手術によって辛うじて救命された。進行し
ていた悪性腫瘍を発見し、摘出して下さった中津裕臣先生(現在、
総合病院国保旭中央病院泌尿器科部長)の御恩を、夫婦とも忘れ
ることはできない。皆子ほそのあと二年間、抗癌剤(インターフェロン) 
の注射をつづけ、つよい副作用にも負けることなく回復した。-そして、
それから一年半たった、ちょうどこの句集の終りに当たる時期の昨
年夏、こんどは左腎に影があらわれたのだが、これも中津先生の執
刀で切りとってもらえた。あとの経過も順調で、左腎は支障なく機能
している。

 都合四年間、妻は気力十分に二度の手術にも耐えてきて、その
気力はわたしをも励ましてくれる。題の『東国抄』は、主宰俳誌「海
程」に俳句を掲載するときの表題として、十年以上も書きとめてき
たもので、初めは都ぶりに対する鄙ぶり、雅(が)の世界でなく野
(や)の世 界に自分の俳句をおきたい、といったていどの考えだった。
しかし、「土」をすべての生きものの存在基底と思い定めて、自分の
いのちの原点である秩父の山河、その「産土(うぶすな)」の時空を、
身心を込めて受けとめようと努めるようになり、この題は、産土の自
覚を包むようになったのである。

 そして、ある日、狼(ニホンオオカミ)が出現した。秩父には狼にか
かわる伝承が多く、あちこちの神社に狼の石像がひかえている。ニ
ホンオオカミは絶滅したといわれているが、まだ生きている。少くとも
わたしのなかでは、いのちの存在の原姿として生きている。

句集に加えた狼の句には、その思いを込めたつもりだった。 とに
かく、わたしはまだ過程にある。
母は二十一世紀を百歳でむかえた。妻も頑張っている。わたしも頑
張らざるをえまい。

 終りになるが、わたしを叱咤激励してこの句集をまとめてくれた、
福田敏幸氏にこころから感謝したい。

                       平成十三年 (二〇〇一) 元旦。                             熊猫荘にて 金子兜太

 

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