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時々、金子兜太の句について先生や学生さんから問い合わせがある。同じ句が多い
ので伺ったところ教科書に載った句のようだ。金子先生自身の語った俳句の作り方や
季語、自句の解説などアップしておきますので参考にして下さい。 (管理人endo)
季語について 金子兜太
俳句に季語が絶対に必要(季語がなければ俳句ではない)と思い込んでいる人が
多いが、これは固すぎる考えで、俳句にとって、季語は大いに役に立つ言葉と受取っ
ておいてほしい。
たしかに、俳句は短い詩形なので、季語のように季節感に支えられた含蓄豊かな言
葉(しかも長年にわたって使われてきた言葉)が加わると、複雑なことがいえるように
なる。俳句の短さを大いに補ってくれるので、遠慮なく使うことをお奨めしたい。
しかし季語にとらわれる必要はないわけで、それ以外の言葉(無季語ともいう)を自
由に使うことを躊躇ってはいけない。但し、その言葉は、含蓄の豊かさで季語に負け
ないものでないと十分ではない。そこが大事。
五・七・五は日本語の「土」 金子兜太
見ていると、最短定型は日本語の「土」の役割を果しているのである。日常のなか
であるていどまで使いこまれた日本語なら、それは日本人の肉体にしみこんでいる(程
度の差はあっても)ことばだから、最短定型に馴染(なじ)む。つまり、この「土」に根を張
ることができる。日常で未熟な、いわば新参の日本語は馴染まないから受け入れてく
れない。ときには弾(はじ)き出されてしまう。つまり、作品として不出来という結果に了
るのである。
ワープロといった外来語はわりあい早く馴染んだが、パソコンとかインターネットあた
りはゆっくり。携帯(電話)、茶髪あたりの日本語はまだまだ。学術用語や人名・地名の
場合も同じで、日常化され成熟すると、長いことばでも、この短い定型は受け入れてくれ
るのだ。
俳句という最短定型は日本語熟成度のバロメーターのようなもので、この「土」に根
付くかどうかが決め手、といってはいいすぎか。
切れ字について 金子兜太
俳句は、五字・七字・五字の三つの言葉の塊りで成立している(三句体ともいう)。
別のいい方をすれば、五で切れ、七で切れ、五で切って結ぶ、という。
たとえば松尾芭蕉の有名な俳句「古池や蛙とび込む水の音」は、「古池や/蛙とび
込む/水の声」と切りつつ読む。とくに「や」の使われている五字はきつく切り、次の七
字はやわらかく切る。「水の音」はかなりきつく切る。「や」を切字(きれじ)と呼んでい
るが、これがなくてもみな切れ、そして繁っているわけで、俳句は切れつつ繁っている
詩なのだ。それによって、得もいえぬリズムが生れ、飛躍が生れる。切れを無視しては、
よい俳句はできない。
俳句で大切なことは感覚 金子兜太
私は俳句で大切なことは感覚だと考えています。感覚は気持ちを自由にすることに
よって磨かれ、そうすることで日常生活を解放的にします。俳句には〈有季定型〉とい
って季語がなければならない、五七五でなければならないという、ひとつの規則を設
けていますが、季語がなくてもいいという考えだけれども、何か規則とか基準を設ける、
そういう生き方が感覚の発達を阻害しているように思います。規則に縛られず、でき
るだけ自由にノビノビとものごとを考え、できるだけ解放的に生きてほしいですね。柔
軟な感覚からおもしろい、いい句が生まれるのです。
私は初回の講義で常識になっている俳句論から入るのではなく、いきなり感覚を
大事にして俳句を作りなさいと、感覚論から出発しています。いかに難しく立派なこと
を言っても、感覚がうまく表現されていなければ作品としておもしろくない。自分を表
現するには、感覚で捉えなければいけない。こうした感覚論が女性に支持されてい
るのでしょう。
ものに直かに触れて掴まえる日本語は美しい 金子兜太
いま一つ、俳句をやってきて、いつも念頭においていることがある。それは「もの」
と密着していない、つまり、確かな具体感をもたない日本語(ことば一般としてもよい)
は弱いということ。ことに詩語としては稀薄(きはく)ということ。
江戸後期の俳諧師(はいかいし)小林一茶の、「形代(かたしろ)に風おぶせて流し
けり」とか、「蚤(のみ)どもがさぞ夜永(よなが)だろ淋しかろ」といった句に出てくるシラ
ミやノミに、不潔感や嫌惑感をもたないどころか、親愛感さえもち、その様子を美しいと
さえおもうのは、この日本語が先入感なしに、それこそ生きものそのものに直(じ)かに
触れて掴まれているからである。
たとえば、「馬の屁(へ)に吹きとばされし蛍(ほたる)哉」の屁といった尾籠(びろう)と
される日本語についても同じである。山国育ちのわたしのスカトロジーによる面もあ
ろうが、それだけではなく、ものに直かに感応することによって得られるユーモア、温
い手触りがなつかしいのである。尾龍などという先入感をこえるのだ。
ものから離れたとき、日本語といわずことばすべてが、脆弱(ぜいじゃく)でひ弱な
ものになる。そのことを俳句から教わってきた、ということ。
文語・口語チャンボンの句も 金子兜太
俳句があるかぎり日本語は健在なり。日本語の乱れといったことに、あまり神経質
にならないほうがよい。
俳人の私がこういうと、いささかハッタリめいてしまうかもしれないが、この五七調三
句体の表現形式(最短定型)に長年親しんできて、最短定型の(土着の強さ)を痛感
しているということではある。歌人にも共通した意向があるはずとはおもうが、七・七
字(音)を切り離して、地下(じげ)(庶民)のものとなった最短定型の場合のほうが、殊
更(ことさら)にそのおもいがふかいのかもしれない。
最短定型は文語定型として慣用されてきて、わたしなどは、この形式は二十世紀で
おしまいとまでおもっていた。こんな古くさい表現形式など青少年あたりからまっさきに
そっぽをむかれるだろう、と考えていたのだが、その予想は見事に外れた。口語でも
書かれるようになり、口語や文・ロチャンボンのいわゆる現代日常語までが、けっこう
使われるようになって、俳句はいっそう愛好者を得ている。
十歳の少女村松恵理奈さんも、そのすぐれた感性のまにまに、「ランドセル蛙ゲコ
ゲコ下校中」とか、「いわし雲お空プチプチ水ぽうそう」などと、日常語を平気で使って
書く。
そうかとおもえば、「朝ねぼう鬼が島から鬼が来た」などと戯けてみせる。気ままに
うたいこまれる日本語を、最短定型はにこやかに受けとめているのだ。
どうしたわけだ、と訝(いぶか)って、日本語に明るい大野晋(すすむ)さんに訊ねた
ことがある。即座に答えが返ってきた。「かれらの音声に叶(かな)っているんですよ」。
なるほど、五七調定型は土着の表現形式で、しかもいちばん短い俳句形式は、十分
に慣用されて、日本人の肉体にしみこんでいる。青少年といえども異和感がないはず
だった。
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく 金子兜太 (ぎんこういんら あさよりけいこうす いかのごとく)
句集・『金子兜太句集』 初出は昭和31年7月号
(「俳句造形について」から引用)
前日、尾道から帰ってきました。尾道では向島にある水族館をみましたが、烏賊が
青白い光を体内に発光しつつ泳いでいる様子が至極印象的でした。朝、潮風と日焼
でや、粘々した皮膚に健康感を覚えながら銀行へ出勤します。
(略)「店内は天井は高いのですが壁が多いため薄暗く、一人一人の前の蛍光燈が
つけられ、その光に依存します。 静かに、朝のきれいな空気のなかで、しかも薄暗い
なかで、みなやや背をまるめ (規程集などー筆者註)読んでいます。深海に蛍光を発
つつたたたずまう烏賊のような状態ー僕はそう結論します。
(略)僕は座席に座って、これは俳句にしないといけないと思いはじめました。新聞を
読んでいるふりをしてその感覚の吟味に取りか、りました。僕の「創る自分」が活動を
開始したわけです。
(略)暗い朝の店内の人達は、一人一人がわびしく蛍光を抱き、しかし魚族特有の
生々した肢体で、イメージのなかに定着したのでした。これでよし、と僕は思いました。
銀行員等ーの「等」も従って必然の言葉なのです。群としての銀行員が大切なのでした
湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太
(わんきょくしかしょうし ばくしんちの マラソン )
句集『金子兜太句集』 初出は「風」昭和33年4月
「中年からの俳句人生塾」より引用
昭和二十(一九四五)年八月六日広島に、九日長崎に、原爆が投下された。
この大惨禍をふかく恨み悼んで、原爆忌、広島忌、長崎忌、そして爆心地などの季語
が生まれた。
被爆後十三年の長崎に、わたしは住んでいた。爆心地に近い丘の上の社宅から
見渡す全景は黒焦げしている印象で、浦上天主堂は崩れたまま。いまだに庭から人
骨が出るなどともいわれていたーむこうの丘を越えてマラソンの一団がくる。しかし爆
心地に入ったとたんに、ランナーはひどくやけどし、体がゆがんでしまった。列とばら
ばら。わたしはこんな映像にとらわれていたのである。
いま、原爆資料館前に「原爆句碑」がある。昭和三十六年夏、原爆公園の前に
建立され、ここに移設されたのだが、十二人の原爆句が刻まれている。そのなかに
は、一家が被爆し、自分だけ辛うじて生き残った桧尾あつゆきの「なにもかもなくした
手に四枚の爆死証明」や、これも地元の隈治人の「武器つくるけむりが原爆忌の夜
雲」などがあり、わたしも加わっている。
白い人影はるばる田を行く消えぬために 金子兜太 句集『少年』初出は「寒雷」昭和30年8月号
俳句・深層のコスモロジー (Series俳句世界 (5))より引用
金子
あれは津軽に行って、現実に早春の農家の人達が頬被りをしていて体が冷えて
いる感じだったんですよ。しかし、もう白い花々が咲いていたわけです。それだけの
ことなんですね。
それをそのまま書いた。だから私の頭の中ではむしろ営農の辛さというか、津軽の
農家の人たちへの思いを書いた。ところが後輩の若い連中がこれを読むとね、「人体
冷えて」は日本列島全体で人体全体が冷えているようなそういう季節感、そして東北
はいま白い花盛り、はるばるとした想望の句としてね、イマジネーションの句としてとられ
ていますね。
復本 僕は東北の美を歌ったという印象でした。
金子 ええ、復本さんのは中間なんですね。もっと若い人たちはね、もっと一般的
に自分の体が冷えてる、東北は白い花、その辺の関わりというか、そこに限りなく季
節の感情をかき立てられるということがあるようです。
復本 僕もこの句は金子さんの作品の中で非常に好きな句です。
金子
私は非常に意識的にリアリスティックに作ってきたつもりなんだけれども、どうもは
み出し部分、無意識部分が残るってことですね。
復本
そうですね。先ほどからいろんな方がおっしゃっているように、作者の意図した以外の
ものが作品に多く出ている。
金子 ええ、それが多様な解釈ということですね。
上記の三句は教科書に掲載されています。
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